すなお本が出版されました

自己紹介ーすなおと着物とブログのこれから

私「すなお」の自己紹介ページへようこそ!

このページは私の簡単なプロフィールだけでなく、大学時代、サラリーマン時代のエピソードや、着物との出会い、今後の着物との接し方などといった「想い」が存分に詰まった記事になっております。

筆が進むままに殴り書きした部分もあり、稚拙な文章かもしれませんが、それでもよければ読み進めてください。

すなお

かなり長い文章になっておりますので、まとまったお時間があるときに読むことを推奨します。

 

もくじ

「すなお」のプロフィール

株式会社きものすなお 代表取締役

厚生労働大臣認定 一級着付け技能士

「着物の良さを広め、タンスの着物を循環させる」という情熱を胸に、着物のノウハウをSNSで発信しています。

〇SNSフォロワー数
・YouTube 20万人
・Instagram 5.7万人
・Twitter 1.7万人
※2022年2月25日時点

〇メディア出演
・京都新聞
・関西テレビ(よ~いドン!)
・テレビ東京(ガイアの夜明け)
・美しいキモノ
・七緒
・書籍「手ほどき七緒 すなおさんの魔法の着つけ

  • 1990年 滋賀県彦根で生まれる
  • 2012年 全日本きもの装いコンテスト関西大会女王
  • 2013年 滋賀大学経済学部卒業
  • 2013年 大手インフラ企業に入社]
  • 2013年 きもの装いコンテスト世界大会準女王
  • 2015年 京都の呉服メーカーに転職
  • 2017年 妊娠のため退職、自宅で着付け教室をはじめる
  • 2018年 第一子を出産
  • 2018年 第一子を出産
  • 2019年 YouTube「すなおの着物チャンネル」開設
  • 2021年 第二子を出産
  • 2021年 着物サークル「すなおの着物会」発足
  • 2022年 Google社「Humans of YouTube」日本版100人に選出
  • 2022年 女性起業家賞 京都府知事優秀賞受賞

メディア詳細

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すなお

京都新聞のご関係者の皆様、ありがとうございました!

 

京都新聞で取り上げられた内容がYahooニュースでも取り上げられました。

画像タップで記事が読めます

 

すなおの発信媒体

私の長ーいエピソードの前に、サイトやSNSなどをご紹介させてください!

着付け教室「すなお」

私が開いている着付け教室のサイトです。

京都にお住まいの方は、是非一度遊びに来てください!

参考 着付け教室すなお
注意
現在工事中です

Twitter(ツイッター)

私が最初に始めたSNSで、全てはここから始まりました。

着付けのテクニックや、質問箱への回答、色んな方々との交流をメインにしています。

👉Twitter


Instagram(インスタグラム)

反響のあったツイートや画像メインの着付けテクニックをまとめています。

最初はツイッターのサブぐらいで考えていたのですが、いつの間にかフォロワー数を抜いてしまいました笑

最近では、インスタだけでしかアップしない画像も増えてきました。

👉Instagram


Facebook(フェイスブック)

今までアップした記事を投稿しています。過去記事を見返したい方にオススメです。

👉Facebook


Youtube

着付けの動画を公開しています。随時更新中

👉YouTube

YouTube突破記念動画


すなお

記事を読み終えた後に、私を気に入ってくださったら、イイネ・フォローをよろしくお願いいたします!

 

私が「きもの」に出会うまで

私のエピソードは大学時代から始まります。

「ザ・バイク女子」琵琶湖一周も当たり前。

滋賀大学経済学部に入学してからは、勉強そっちのけでとにかくバイト漬けの毎日。受験勉強で缶詰になっていた高校時代の反動でしょう(笑)

自由時間が一気に増えたので「興味のあるものはとりあえず経験!」というスタンスで様々なバイトをしました。

ネパール人だけで運営しているインドカレー屋、超絶ブラックな塾講師、意外と割のいいイチゴ農家の手伝いなど・・・。

すなお

バイト代は飲み会やカラオケ、ショッピングなどに使う典型的な「ザ・大学生」って感じ笑

そんな大学時の一番の趣味は「バイク」でした。

19歳のとき、漫画「シガテラ」を読んだことがきっかけで、単車に目覚めます。

※6巻で終わる中編漫画なので興味あれば是非笑

中型免許を取って、カワサキのエリミネーター250V(アメリカンバイク)が愛車♡

革ジャンでびわ湖一周するツーリングが定番スタイル。

私はロマンチストなので(笑)、風を切って走るのが気持ち良くて、夜の湖岸道路を一人バイクで飛ばしたり、バイクに寝そべって星空を見上げたり・・・。

すなお

想像つかない!ってよく言われますが、当時は革ジャンばかり着ていました。それもかなりこだわって(笑)

着物との出会い

そんなワイルド(?)なバイク生活のさなか、私の人生を変える出会いがありました。

近所の着付け教室の先生が家を訪ねてきてくれたのです。(母も祖母もこの先生から着付けを教えてもらっていた)

「教室に来てみない?」

この一言がきっかけで、それまで考えもしなかった「キモノ」という世界に足を踏み入れます。

成人式の半年前くらいだったので、母の振袖を持っていったのですが・・・

着物を羽織った瞬間、

「!!!!!!!!!」

「なんやこの胸の高鳴りは・・・」

 

とろみのある絹の肌触り、どっしりとした重量感、紐を使ってどんどん変わっていく形・・・

ものすごく高揚しました。

母には「絶対習いたい」と伝え、着付け教室に通うことに。

すなお

革ジャンが制服みたいなものだったので、かなり意外だと驚かれました笑

 

きもの装いコンテスト初出場

着付けの先生に勧められて、年に一度の「きもの装いコンテスト」という大会に出場することに。

入賞したら着物や帯など色々いただけるということで、喜んで出ることにしました(笑)

きもの装いコンテストとは、振袖を着付けする速さ仕上がり所作スピーチなどで競うもので3か月くらいの練習期間を経て本番へ。

当然ですが、表彰台には上がれず・・・。ただ、人前に出る心地よい緊張感を経験しました。

猛練習の末、関西大会優勝

引用元(中日新聞 http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/)

初めての大会出場を経験してから半年経ったところで、もう一度出場することを決意。

着付け教室には2日に1回通い、それとは別で毎日2時間自主練習しまくりました。

デジカメを引っ張り出してきて、三脚を立てて、自撮りしながら自主練習。

家では「またやってるん?」と家族に呆れられながらも、恥ずかしさは捨てて、片づけが面倒でも気が乗らなくても、とにかく練習・練習・アンド練習!

すなお

受験勉強の時より頑張ったかもしれません・・・。

「こんなに練習した人は絶対にいん!」と自信を持って挑んだ関西大会は、晴れて優勝!

世界大会に出場する切符を手に入れました。

全日本きもの装いコンテスト関西大会において本学学生が「きもの装いの女王」に輝きました

11月18日に滋賀県彦根市で開催された「全日本きもの装いコンテスト関西大会」(社団法人全日本きものコンサルタント協会主催)において、経済学部4回生の宮内 直さんが、最優秀の「きもの装いの女王」の栄冠に輝きました。

引用元:滋賀大学(https://www.econ.shiga-u.ac.jp/topics/1437.html)

 

引用元(びわ湖放送 http://www.bbc-tv.co.jp/)

すなお

こんなに自慢したくなるくらい嬉しかったのを記憶しています!笑

新入社員研修と世界大会

大学三回生になって、就職活動スタート。

着物が大好きな私でしたが、着物関係の仕事に就くという考えは全く思い浮かばず、世間的に聞こえのいい会社を選んでいました。

当時は、安定した会社、聞いたことのある会社しかダメだと思っていたんです。

でも今考えると、もっと自由でよかったんですよね。世間体とか、安定しているかどうかとか、ネームバリューにこだわっていたのが、ちょっと勿体なかったなと思います。面白い会社、面白い人にたくさん触れ合うのも良かったかなー、なんて。


それはさておき、当時の私なりに頑張って就職活動をした結果、某有名インフラ企業の社員になりました。

入社後は1か月間、新入社員研修の合宿。部屋は5帖程度だったので、ベッドと机とキャリーケースでいっぱいいっぱい。

実はこの時、きもの装いコンテスト世界大会まで残り2週間をきっており、振袖の着付け練習ができないことに絶望していました。

「どうしよう・・練習できないのはかなりやばい・・・」

と、焦りと不安でいっぱいだったのを覚えています。

さらに、新入社員の親睦を兼ねた球技大会の日と大会の日が被るということが判明。

 

(終わった・・・・)

(世界大会出場諦めようかな・・・)

(大学生とは違う、社会人やもんな。お金もらってるもんな。会社の行事よりプレイベート優先したらあかんやんな・・・)

(合宿にきてから、ろくに練習もできていない。こんなんじゃ、地区大会を勝ち抜いてきたツワモノたちに勝てっこないし・・・)

どんどん弱気になってきます。

もうどうしていいかわからない・・・。

合宿の消灯時間の夜10時、私は暗い部屋で眠ることもできず一人で泣きました。


次の日の朝、同期の一人が暗い顔をしていた私に気づいて、声をかけてきてくれました。

「大丈夫?元気ないやん、なんかあったん?」

私が着付けを頑張っていることを知っている友達だったので、休憩時間に悩みを打ち明けました。

すると、

「あほか!そんなもん、世界大会は這ってでもいかなあかんで!会社はあんたの他にも代わりはいくらでもいるんや。でも、その大会は違う。あんたの人生変える大会やで。

絶対、何が何でも、大会に出て優勝するんや!!!!

 

ハッとしました。

「そうか!私は何を弱気になってたんやろう・・・着物は私の唯一のオアシス。ここで諦めたら一生後悔する。」

その日のお昼休みの時間に、研修担当の方に相談しました。

すると、心配しすぎていた自分が馬鹿らしくなるくらい、あっさり球技大会を休んでもいいことになりました笑

狭い部屋でもできる所作の練習や自己暗示(これはまたの機会にお話ししたいと思います笑)、スピーチのイメトレなどできる限りのことをやりました。


そして迎えた本番。

会場は、渋谷のNHKホール。出場者は100余名。アメリカや中国など、世界各国から出場者が集まる世界大会。

前日から泊まっていた近くのホテルで大会用の振袖を着て、タクシーで向かいます。

車から降りて、ふーっと、深呼吸。

「絶対に優勝する!」と自己暗示をかけながらも、周りには色とりどりの振袖姿の女性がずらり。キレイに髪を結ってバッチリお化粧をしている美人ばかりです。

「ここには、着付けの技術を磨いてきた人が集まっている。この中で、私は優勝できるんやろか・・・いや、優勝する。私ならできる!!!!」

そう鼓舞して、黙々と着付けのイメージトレーニング。鏡を見ながら笑顔の練習をして、姿勢のチェックを念入りにしました。

そしてついに、舞台裏へ。

心臓の音が自分でも聞こえるくらい緊張していたのを今でもはっきりと憶えています。


「それでは幕が上がります。」

スタッフの方の小さな声をきっかけに、少しずつ、幕があがっていきます。次第にパーっと光が差し込んできて、緊張と、ライトの強い光で汗びっしょり。

向こう側の客席は満員です。

「では、着付けを始めてください」

その合図で、着付けスタート。私は、手が震えていました。

長襦袢を羽織った状態から、帯締めを結ぶまで、自分自身に着付けします。手早さだけでなく、所作や手順も審査ポイント。

その間、約5分。何も考える余裕がなく、気が付いたら着付けは出来上がっていました。スピーチも終えて、あっという間に終了。

すなお

本当に何も覚えていないんです笑

舞台裏に退場して、ふーっと息をつく。清々しい気持ち。練習の成果は出せた。あとは結果発表を待つのみ。


そして、運命の結果発表。出場者は舞台にずらっとならんで、司会者の人が3位から発表していきます。

 

「第三位は!!!ガラガラガラガラ・・・・

ジャン!!!

○○さんです!!!」

セーフ。呼ばれなかった。

でも、次も、その次も呼ばれなかったりして・・・

入賞できなかったらどうしよう・・・

思うように練習できひんかったから、入賞できひんくても仕方ないかも・・・

2位でもいい、呼ばれますように!!!

 

 

「そして、第二位は!!!すなおさんです!」

 

ああ・・・入賞した。呼ばれて、本当によかった。その瞬間、心底ホッとしました。

 

ただ、その後すぐに悔しさが湧き出てきます。

「こんなに練習した人は他にいん」という確固たる自信が持てなかった。どこかに迷いがあった。

世界大会優勝を目指して1年間頑張ってきたのに、準優勝でホッとした自分自身に怒りすら感じる。

今大会が最後の大会になりましたが、このスッキリしない悔しい気持ちのおかげで、再度着物の世界に飛び込むのはもう少し先の話です。

 

地獄のOL時代。私の唯一の友だちは「きもの」だった

上司むかつく胃潰瘍

新入社員研修も終わって、京都に配属された社会人一年目。

一年目あるあるかもしれませんが、自分の仕事のできなさを痛感します。

  • 「あほかお前は!」
  • 「もっぺん電話で確認しろ!」
  • 「なんべんいったらわかるねん!」

毎日なにかしらの失敗をして、上司に大声で怒鳴られる日々。

上司の指示でお客さんに電話確認しないといけなくて、同じお客さんに何度も何度も電話を掛ける毎日でした。上司は、電話で聞く内容を一度には教えてくれません。

「まとめて言えや。なに分割しとんねん」

そんな本音はぐっとこらえます。

仕事に不慣れで手際が悪いからどんどん溜まっていく事務処理。

期限があるため昼休みも取れず、ぶっ通しで朝から晩までパソコンとにらめっこしていました。

にらめっこといっても笑うことはありません。

ずーとにらめっこ。

本当にずーとにらめっこ。

1時間、2時間とかじゃなくて朝から夜まで、水を一滴も飲まずに事務処理と戦う私。

 

夜中になり、帰られる時間になっても、「やったー!仕事終わったー!」という達成感も、解放感もなく、感情も無くなり、ノイローゼになりかけていました。

上司の叱責は右から左。1つ1つ真面目に受け止めていたら辛くて涙が出る・・・。

家に帰っても、寝ること以外にすることは無し。目覚ましが鳴り、OLの格好に着替え、自転車を無表情でこぎながら、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車にのり・・・

職場が近づくにつれて、顔はこわばってくる。

「いやだ・・・」

「いやだいやだいやだ」

「いやだいやだいやだいやだいやだ」

という感情を表情に出さずまい!と仕事をこなす私。

気が付いたら、化粧もテキトーになっていました。


ある日、始業時間が30分ぐらい過ぎたとき

「あ、これやばいわ」

と感じるできごとが。

 

 

初めて聞く上司の心配した声。

気づいたら、うずくまっていました。

その時、今まで溜まっていた感情があふれ出したのか、号泣。

そのまま病院へ。


結果は胃潰瘍。

幸い大したことはなかったのですが、「ストレスで倒れる」という初めての経験により、自分の働き方を見直すキッカケになりました。

すなお

今思えば、「THE・ゆとり」と感じる部分も多々ありますが(笑)、当時は社会人ってこんなに辛いものなの?と働くことそのものに絶望を感じていました。

体力的にも、精神的にも逃げ場のない社会人生活のある日の午後、私のしどろもどろの受け答えと例のオニ電に、お客さんが激怒。会社まで怒鳴り込んでこられたときがありました。

私はぶるぶる震えながら、窓口でうなるお客さんを見ていたのですが、隠れていても仕方がない。

覚悟を決めて、いざ窓口へ・・・

「もうしわけございmしぇんでした!」

いちばん大事なところで噛んでもた・・・あ~むっちゃ怒ってはるやろな~・・・ひゃ~・・・

と、恐る恐る顔をあげると、お客さんは笑いをこらえきれずに吹き出していました。

「電話はあんたやったんか~若い子やったんやな。キツいこと言うてごめんな。」

そう言って笑って許してくれました。

こんなあかんたれな自分に微笑んでくれている・・・。当時の私にとっては、たったこれだけのことが本当に救われる出来事でした。

怒られたくない!って気持ちで仕事しても辛いだけや。これからはお客さんだけを見よう。そう考えるようになったのもこの時からです。

それからというもの、怒鳴り込んできた例のお客さんは「すなおさんに電話変わって。その方が話が早いから。」と指名してくれるまでに!

そのことが嬉しくて表情に変化があったのでしょう、他のお客さんからも「対応が丁寧でよかった」と、喜んでもらえることが増えました。

いきいきと仕事を始めた私を見て満足したのか、上司に怒鳴られることも次第に減っていきました。

社内では孤立。でも、私には着物がある

私は、会社の飲み会が嫌いです。

「強制参加にするなら残業代くれ」と本気で考えていたゆとり世代で、先輩の誘いはすべて断っていました。

当然、職場では孤立。怒鳴られることは減ったとしても、高圧的な上司は顕在。

社内営業とか、ゴマをするとか、媚びへつらうとか、トコトン苦手なんですよね。無駄にプライドだけ高く、可愛げもなくて、つんけんしてました。

そのころの楽しみは、休みの日に着物でお出かけすること。

「私には着物がある。プライベート充実していない怒りんぼ上司とは違うんじゃ!」

と勝手に決めつけて、ムカつきながら仕事(笑)

すなお

散々悪く言ってますが、今考えたら普通ですよね(笑) 当時の上司にいつかお会いする時があったら、笑って思い出話がしたいです。

でも、帰宅後には着物を触れる。これが何よりも癒し。

ああ・・・やはり着物が好きだ。

関西大会で優勝した時の歓声。

たくさんの人から言ってもらえた「おめでとう」

世界大会で、世界のツワモノたちと競い合えたこと。

それを思い出すと、「やっぱり着物でもっと高みを目指したい!」と、私のなかの情熱が燃えあがってきます。

 

世界大会は準優勝で、不完全燃焼やった。自分が納得するまで、全力で取り組めなかったことが悔しい。

正直、着付けの練習のほうが働くよりよっぽど体力は使うし、思い通りにならないし、しんどい。

でも、楽しい・・・。きついけど楽しい・・・。

キレイに着付けられた瞬間がとてつもなく興奮する。

ああ、、、これだけ楽しいなら、一生努力できる・・・

 

そんなことばかり考えている私にとって、上辺だけの会話や気遣いをしてセクハラされる飲み会なんて、どうしても行きたくありませんでした。

  • 「アイツまた飲み会来よらへんぞ」
  • 「なんやねん下っ端なんやから幹事やれや」

そうやって聞こえるように陰口を言われたって平気です。

 

「私には着物があるもん・・・」

着物業界に転職するヒントを求めて山形へ

私の人生、このままでいいのだろうか。

毎日ムカつきながら仕事して、表情はどんどんブサイクに。

毎日疲れ果てて帰ってきて、削られる命。

なんのための仕事?誰のための人生?私がほんまにやりたいことってなんやろう。

そのヒントを探すために、休みの日は京都の街を歩いて、着物関係のお店を見て回ったり。

図書館で着物の本を読みあさったり。

ネットで、着物関係の仕事について調べたり、着物の知識を覚えたり。

着付けを極めるためには着物レンタル店に転職しようかと考え、京都のレンタル店に面接に行ったり。


そんな中、とても気になるWEBサイトに巡り合います。

山形の呉服店「結城屋」さんのホームページです。

参考 株式会社結城屋全日本きもの研究会

このサイトを時間が許す限り読んでいました。

 

  • 「着物って、なんて面白いんだろう!」
  • 「着物ってこんなに奥が深いんだ。」
  • 「まだまだ知らないことが沢山あるな・・・」

読んでも読んでもどんどん疑問がわいてきて、実際に見てみたい!実際に学んでみたい!着物を着て毎日を過ごしたい!と思うように。

この着物へのわくわくは、日に日に増していきました。


「これは山形に行くしかない。」

そう心が叫んでいたので、思い切ってホームページに問い合わせをして、電話でアポを取って、会社を休んで単身山形へ。

お気に入りの着物を着て、新幹線に乗りこみます。

もうわくわくして、ドキドキして・・・何を質問しようか手帳に箇条書きしたり。ホームページを読み返したり。

実家の滋賀県から、東京まで2時間。東京で乗り換えして、東京から山形まで3時間。乗り換え時間などを含めて合計6時間はかかったはずなのに、ビックリするぐらいあっという間だったんです。それくらい、移動時間も楽しかった。

そしてお店に到着。

社長さんにご挨拶して、奥様がお茶を出してくださって。社長自ら、丁寧に親切に、私の問いかけ一つ一つに応えてくださいました。

京都で丁稚奉公をされていたころは、室町の呉服問屋街は本当に活気があったこと。

昔ながらの技術を継承する職人さんもまだ残っていること。

「日本の絹」と謳っていても、元をたどれば外国産の糸を使っている場合があること。

色んなことを教えてくださいました。

その中で、純国産糸を使った、正真正銘、日本の絹でできた白生地を見せていただいたのですが、それは素人の私にもわかるほど、柔らかく気持ちのいい生地でした。


私は、当時考えていたことを全て打ち明けました。

「これから、着物について専門的に学びたいんです。着付けを極めたいけれど、まずは着物の生地や素材、歴史について知りたいです。でも何から始めたらいいかわからないんです。」

すると社長さんは、「メーカーがいいのでは」とポロっとおっしゃいました。

私の頭の中に飛び交うはてなマーク。

そのときはじめて、呉服業界には小売店・問屋・メーカー・職人という流通経路があることを知りました。

すなお

当時の私、無知すぎ・・・?笑

具体的な呉服メーカーを3社教えていただき、お店を後にしました。

そのとき実際に頂いた本。いまでも読み返している、私のバイブルです。

周りは転職に猛反対。着物業界なんて絶対にやめとき!

入社2年目の夏。

上司を呼び出して「退職したいと考えています。」と、伝えました。

今まで憎たらしかった上司は一転し、びっくりするくらい親身に話を聞いてくれて、考え直すように説得してくれました。

でも、私の決意は1mmも動かなかった。

もう、着物を着て働く自分を夢見てたんですよね。

これは現実逃避なんかじゃない。会社が嫌だから逃げているんじゃない。こんなに着物が好きなんやから、早く行動しな時間がもったいない!

計5回の面談を経て、退職の承認。

所長の「やるからには、着物でてっぺん取るんやぞ!」という言葉、今でも憶えています。


ただ、問題は両親でした。

「会社を辞める。上司には既に伝えてきた。着物業界に転職したいんよ。」といきなりの事後報告。

母は、「あんたがそうしたいなら、好きにやってみい。」と言ってくれましたが父は猛反対。

 

「いつも相談なしに、勝手に決めて!せっかく大学出て、いいとこ就職したのに。絶対反対や!」

 

父の心配は、痛いほど伝わってきた。私のことを想って、怒ってくれてるんやんな・・・。

ただ、今回ばかりは絶対に曲げられへん。ぶっきらぼうに我を通すのではなく、父のその暖かい気持ちに応えられるように、一生懸命説明しました。

 

「どうしても、着物の道を極めたいねん。このまま会社で働いて夢を諦めたら、私は絶対後悔する。

頑張るから。むちゃくちゃ頑張るから、信じて応援してほしい。」

当時24才の時のメモ

 

父は何も言いませんでしたが、次の日の朝

「信じるわ」

と、一言だけ残して仕事に出かけていきました。


こうして再度、着物の世界に飛び込むことになります。

今まで周りに流れされてきた私が、周りの反対を押し切って、自分だけの決断をした初めてのできごとでした。

理想とは程遠い呉服メーカー社員時代

24歳で退職。毎日必死で休む暇なく働いていた生活が一変、自由時間ができました。

大学生のように、一日中フリー。でも、当時の私ではありません。私には夢がある。

両親が信じてくれた私の夢。

「着物でてっぺん取るんやぞ!」と応援してもらった私の夢。

まずは、この夢の土台を築くふさわしいステージを見つけなくては。

1時間たりとも無駄にはできない。

ハローワークに通って、呉服屋さんに片っ端から出向いて、ネットで着物メーカーの求人を探して、毎日あちこち出かけて、就職活動に励みました。

私の学びの場にふさわしい会社はどこ!?

それくらい前のめりな気持ちで会社を探していました。

気になる会社の社員さんと実際に会って、話して、会って、話して、会って、話して・・・

「ここだ!!!」と思った着物メーカーに出会い、就職が決まりました。


採用が決まってから入社するまでの2か月間、和裁を習って着物を一着仕立ててみたり。

「いつかおばあちゃんになったら、毎日着物を着て、近所の子供たちのために着付け教室なんてできたらいいな」

そんなことをぼんやり考えながら東京に向かって、歌舞伎を観たり。

目先の未来ではなく、10年後、20年後を考えながら、今できること、やりたいことを真剣にやった。

すべては、「着物の道を究める」という人生の目標のために。

困難があっても、上手くいかなくても、コンビニで夕食を済ませる毎日でも、着物の仕事は楽しかった

着物メーカーに入社して4日目、訳もわからず上司に連れられて催事へ出向きます。

催事とは着物の販売会のことで、当時は何が何だかさっぱりわからず。

前職では、必ず事前に研修がありました。すべてにマニュアルがあって、それを正しくこなすことが仕事。

でも、着物のメーカーの販売の仕事には、マニュアルなんてない。今まで培ってきたスキルは、なんの役にも立たない!

上司にピッタリくっついて、どんなふうにお客様に話しかけているのか、商品のすすめかた、生地の特徴、立ち回りかたなどを、必死に覚えるので精一杯。


ふと、紺色の着物を着た、髪を美しく結っているご婦人が目に留まりました。とりあえず上司のマネをして声をかけてみましたが、ご婦人は見向きもしてくれません。

そりゃそうですよねー。着物を着たご婦人が、自信なさげな24歳の小娘を相手にするはずないですよね。

そうか。いままでは企業の看板があったから、社長さんや目上の人と、対等に話せてたんや。

今は、ただの小娘。信頼感も、説得力も、なんにも持っていない。自分の力量の無さを思い知らされた初仕事になりました。


それから3日間、上司に同行して催事の毎日。必死で上司のまねっこをします。一言一句違わず覚えてきた商品説明に、場の盛り上げかたをとりあえず試す。

試行錯誤の末、ついにその瞬間はやってきた。

私がオススメした着物が売れる時が!

私自身がとても好きな着物でした。水色の、むじな菊の小紋。

「あなたの熱意にやられたの。買うつもりはなかったのだけど。これからも頑張ってね。」と言ってくださったあの瞬間。

お客さんのお顔は、一生忘れません。あの時の嬉しさ、一生忘れません。

そんな実地訓練を経て1か月、単独出張デビューを果たしました。催事で自社ブランドの着物を販売するお仕事です。お店の販売員さんに助けられて、なんとか3点、売れました。


それからは全国各地を飛び回る毎日。

東京、新潟、九州…と、一か月間で京都にいるのは3日間だけ。5日間の東京出張が終わったら、1日だけ京都に帰って、次の日から新潟。1週間後には九州、というように。

ただ、とてもしんどいのに、友達と遊ぶ時間や家でゆっくりする時間はないのに、まったく苦じゃなかった。

スーツケースに着物3着、帯2本を入れて、出張先に送り、ビジネスホテルに泊まって、毎晩コンビニ弁当を食べながらも、着物で催事会場に行って、素敵な着物に触れて、着物好きの人と交流する。

あぁ、楽しい。どれだけ大変でも辛くても楽しい!着物を着られてうれしい!

常に着物に詳しい人がたくさんこの職場は天国でしょうか。

催事会場では、お客さんだけでなく、他のメーカーさんや小売店さんにも話しかけて、着物の生地や染色技法について教えてもらい、着付けアドバイザーの先生には、着付けのイロハを叩き込んでもらいました。

勉強するにはもってこいの環境!

「お前なんかいらない」って言われても、めげることはなかった

入社から半年、売上トップの先輩社員の代わりに出張に行くように頼まれ、東京の催事会場に行きました。

到着して、取引先にあたる責任者の店長に挨拶。

すなお

「すなおと申します。○○さんの代わりにきました。よろしくお願いいたします。」

店長

え、売上トップの○○さんじゃないの?なんだよ、ガッカリだよ。

 

(え・・・それはちょっとひどくない?)

と思いましたが、「申し訳ございません。一生懸命頑張ります。」と笑顔を返します。

商品陳列が終わってお客様が入ってくると、店長は私を無視して、着物を勧めに行きます。私はそれを見ていることしかできませんでした。

お客さんが帰った後、店長は私のところにやってきて

店長

なにやってんだよ!!商品勧めろよ!営業トップの○○さんなら絶対結果残してくれるのに。

これじゃ今回赤字になるよ、売上やばいのに。お前なんかいらねぇんだよ。突っ立ってるだけで役立たず、邪魔

と、ものすごい剣幕で怒鳴られました。

もう、悔しくて、悔しくて。なにもできない自分が情けなくて。

先輩社員の顔が思い浮かんで言い返すこともできず、爪の跡が残るくらい、こぶしを握り締めていました。

次の日も、その次の日も、催事期間の5日間、毎日怒られました。

でも、お客さんには関係のないこと。できる限りの笑顔で接客して、店員さんたちにも積極的にコミュニケーションを取りに行った。

・・・でも、今日も一つも売れなかった。


ビジネスホテルに帰ったら、毎晩悔し泣き。

ただ、不思議と辛くはなかったんです。悔しいし、悲しいけど、辛くはない。

脳みそは動いてる。この状況から逃げる気なんてさらさらない。

「絶っっ対、見返したる!!!!!!!!!!」

泣きながら、鏡に向かってつぶやきます。


催事の最終日。ベテラン女性店員さんが、こっそり話しかけにきてくれました。

「私があなたの商品をひとつ、次のお客様に売ってあげる。見てなさいね。」

そう言い残すと、お客さんのところに反物を持って行って、いとも簡単に私の持ち込み商品(30万円の小紋)を売ってしまったんです。

 

「す、すごい・・・」

「私はもう歳だから、今年で引退。これからは、あなたみたいな若い人の番よ。めげずに、腐らずに、頑張りなさい。見てくれてる人は必ずいるから。」

 

どんな仕事でも好転のタイミングがある。私にとっては、この時がそうでした。

私は必ず成長してみせる。

「すなおさんに来てほしい」と指名してもらえるような人間になる。

そうして5日間の催事が終わりました。

ある行動で売上100倍に

販売がうまくなるにはどうする?

あのベテラン女性店員さんは、どうしていた?

一日中、ぐるぐる考えていました。

入社半年。担当を1社持たせてもらって当時の1月の売り上げは、たったの3万円。新人ということで、担当先の社長に着物を1反買ってもらっただけ。

これじゃあかん。売上を上げなきゃ。でもどうすれば…。


幸運なことに、お手本となる人が周りにはたくさんいました。

  • 競合他社のトップ販売員
  • 先輩社員
  • 取引先のベテラン販売員
  • アドバイザーの先生

まずは観察しなきゃ・・・。

 

私がやったこと。それは、行動を観察しひたすらメモすることでした。

尊敬する人がどんな接客をしているのか、耳をダンボにしてメモしまくり。

お客さんが少ない時間ができたらすかさず、その人のところへ販売の秘訣を聞きに行く。

売上を上げている人は自分なりの販売理論があって、どんな人でもそれを親身に教えてくれるのが幸運だった。


それともう一つ、「お客さんノート」をつくりました。

催事で、売れた商品やお客様の名前を、すべて記録。他愛もない会話、好きな色、職業なども、全部メモ。

すると、どこへ行ってもリピーターが付くようになったんです。

  • 「あのときは、こんな着物をお求めくださいましたよね」
  • 「今年はお嬢さんがご成人でしたよね」

なんて話ができるまでに。

売るためではなく、お客さんを知るために行動しよう。そう思うようになってから、売上はみるみるあがっていきました。

(ああ、前の会社でも同じことあったな・・・。「怒られないために売る」じゃダメなんだ。買いたい人のことを知ろうとしなければいけないんだ・・・」

入社1年目、1月の売上は、300万円。3万円しか売れなかったのが、ずいぶん昔のことのように感じました。

結婚、育児、そして着付け教室をひらくまで

出張三昧の日々を送りながらも、ご縁があって結婚。

想像していた結婚生活とは程遠く、相変わらず出張、出張、出張。

自宅にはほとんどいなくて、コンビニ飯や疲労からか、肌はボロボロでした。

いつの間にか抜け出せない怒濤の出張劇。目の前の仕事に追われる日々。

肉体的には疲弊していたけど、とても楽しいし続けたい・・・。

でも、このまま走り続けていいのだろうか。

私の目標としていたことってなんだっけ。

幸せってなんですか?

結婚して1年がたった春。私は、今の仕事に対して疑問を持ち始めていました。

出張詰めの毎日は確かにやりがいがあるけど、はたしてこれが私の幸せなんだろうか。

そんなことを考えていたその日は京都市内のとある小売店にいました。

「なんか、しんどい・・・」

少し休憩をもらって、お水を飲んで休ませてもらいました。

「もしかして、また胃潰瘍・・・?明日から東京出張やのに、どうしよう・・・」

ここ数日体調が悪かったことを上司に告げて、急遽先輩社員に代わってもらうことに。

次の日、家で休んでいたときハッとしました。

「これは、妊娠したかもしれん!!!!!」

 

思った通り。おなかに新しい命が宿っていました。

(なんて幸せなんだろう。この子を、守らないと。)

本能的に、そう感じました。

仕事は続けたい。でも子供を守りたい。どうする?私の夢は何だっけ?

つわり中の出張は、正直とてもつらかった。

私は営業として採用されて、ここまで頑張ってきた。売上は好調。指名されて企画を任されることも増えてきた。

でも、産休・育休のあとも、これまでと同じように働けるのだろうか?

がむしゃらに働きながら、子育てなんてできるのだろうか?

ある夜、悩んでいることを一番の理解者である夫に打ち明けてみました。

すると夫は、

「俺の収入を保険にして、なおちゃんは着付け教室をするべき」

そう言ってくれました。

え、いいの?本当にいいの?

着付け教室・・・今まで想像もしていませんでしたし、素晴らしいアイデアだと本気で思いました。

ただ、私の中の「常識人」が反対します。

  • 着付け教室の先生って、もっと年配じゃないといけないんじゃないの?
  • お母さんになったら、自分のことは我慢しないといけないんじゃないの?
  • 教室しながら育児なんてできるの?

それでも、夫は

「やりたいんやろ?

なら、とにかくやってみたらいいねん。

なおちゃんなら、きっとうまくいく。」

そういって、背中を押してくれました。

 

ああ・・・・この人を選んでよかった。

その時、私は新しい形の夢へ一歩を踏み出したのでした。

着付け教室開校

(いつかおばあちゃんになったら、着付け教室をやりたいなぁ。)

と、ずっと遠い未来だと思っていた夢・・・。

別に今やってもいいんだよね・・・!


妊娠7か月にして退職し、さっそく着付け教室開始!

玄関に「着付け教室。生徒さん募集中」という看板を立てて、簡単な無料のホームページ(http://kimonosunao.com/)を作りました。

1人、また1人と生徒さんは少しずつ順調に増えていきました。

1日1件だけの、ゆるい教室運営。

私にとってその時間は、最高の安らぎ。

臨月をすぎても、ぎりぎりまで、教室を続けました。

出産

里帰りをして、元気な女の子を出産。

産後は出かけることもなく、もう必死のパッチでした。両親が一緒にいてくれてよかった・・・と何度思ったことか。

少しずつ慣れてきて、産後2か月がたったころ、京都の家に帰りました。

誰とも会わずに一日が終わる。昼も夜も区別ない子育て。

なんだか社会から隔離されたような、私と赤ちゃんだけがぽつんと取り残された気持ちになっていました。

ただ、着付け教室の生徒さんからは、お祝いのメッセージが次々にきました。着付けに関する相談も。

「私を必要としてくれている人がいる」

そう思うと、とても明るい気持ちになれた。

着付け教室の再開

生後4か月を過ぎた頃に教室を再開します。

「赤ちゃんがいる中での教室なので、生徒さんにご迷惑をかけるかもしれない。」といった不安はありましたが、

「ダメだったら止めてみて、いけそうやったらまた再開して・・・それでええやん。迷惑をかけるかもしれない生徒さんよりも、なおちゃんを求めている生徒さんに応えることが大事や」

という夫の言葉もあり、とりあえずやってみることに。

3日に1度の、着付け教室。

生徒さんの気遣いのおかげもあって、赤ちゃんとの新たな教室運営は、とても心地よいものになりました。

頼りにされることって、こんなに嬉しいんや。

外とのつながりって、こんなに楽しいんや。

好きなことができる時間って、こんなに貴重なんや。

出産前は当たり前に思っていたことが、すごく有り難いことだったんだなと実感しました。


着付けの大会で努力しきれなかったことが今でも心残りだったけど、今度は必ずやり遂げる。

着物の道の何者かに私はなる。

親の反対を押し切ってまで着物の道に進んだ。

上司は、「着物でてっぺん取るんやぞ!」と背中を押してくれた。

夫は、わたしならきっとできると言ってくれた。

私にしかできないことがある。

今できることを1つずつ全力でやりたい。

このブログの存在意義

最初はネットで何かをするのって苦手意識がありましたが、

生徒さん

「すなおさんってFacebookとかツイッターとかやってないんですか?着付けの秘伝の技とか投稿していったらバズりそう!」

生徒さんのこの言葉がキッカケとなり、とりあえずツイッターをスタート。

SNSデビューは学ぶことが沢山ありました。

  • 仕事ではあまり見かけなかった着物が大好きな高校生
  • リサイクル、フリーマーケットだけで着物をオシャレに着こなしている奥様
  • 自宅のタンスに着物が大量に埋もれていて悩んでいる方々

こういった方がいらっしゃるのは分かってはいましたが、建前のない生の声を聞くのは初めてのことでした。

今まで接してきたお客様とは販売員として接してきましたが、SNSではただの人としての交流なので、超リアルな意見交換ができるんですよね。

日本全国の着物好きな方と気軽に交流できる世界があること自体に衝撃を受けました。

すなお

SNSデビューしたい着物好きの方がいらっしゃいましたら、私がやり方を教えますし、紹介もします!不安なことは何もないです!

 


そして、とある方から「着付けのテクニックを何かにまとめてくださると助かります!ブログとか作らないんですか?」という提案が。

「よーし!やってやるぞ!」

ブログで私の伝えられることを全部伝えよう!やるからには、着物業界に影響を与えられるくらいやってやろう!

着付けのブログがスタートします。

自分しか知らない着付けのコツをみんなに知ってもらいたい

呉服業界に転職して間もない頃は、着物姿での仕事に慣れず、着崩れたり、苦しくなったりしていました。

でも、毎日着物で一日中動き回らないといけない。

  • どうやったら着崩れないか?
  • 苦しくなる原因は?
  • できるだけ手早く着付けするには?

私には、そういった着物の課題に対して現場で対処してきた濃密なノウハウがあります。

当然、同じ悩みにぶつかってきた人も沢山いるはず。

まずは、そういった方々を1人でも多く救えるブログにしようと考えています。


和文化は「秘伝」が多いように思います。

  • 「ここからは、お免状を取ってからでないと教えられません」
  • 「これは、師範じゃないとできない技術です」

いやいや!出し惜しみせんといて!

着物は衣服です。「秘伝」になっては勿体ない。どんどん世に出していきましょ!

閉鎖的な世界を取り払って、もっとオープンに気軽に学ぶことができたら、着物はもっと普及すると思っています。

私のノウハウで、一人でも多くの人に「着付けって案外簡単かも」と思ってもらえたら本望です。

着物好きが集まるような場所にしたい

私が着物を着始めたころは、じろじろ見られたり、「今日はなにかあるんですか?」と聞かれたりすることが、とても気になっていました。

そんな人、結構多いはず。

でも、周りの目を気にして着物を着るのを諦めるなんて、勿体ないですよね。

  • 一緒に着物を着てでかけられるような着物友達をつくる場所。
  • 意見交換や情報共有をして、お互いに高めあえる場所。

そんな場所があれば、周りの目を気にすることも無くなるはず。

私は、そんな居心地の良いコミュニティを作るために、沢山の方々を巻き込めるようなブログにしようと思います。

着付け教室にもっとお客さんがきてほしい!

正直にいいます。教室に来てほしいです(笑)

SNSやメールなど、情報伝達手段がたくさんあり便利な世の中になりましたが、やっぱり直接会うのに勝るものはない!

直接話すことで、学びの機会はぐんと広がると思っています。

妊娠中、ネットで多くの情報を収集しましたが、着付け教室の生徒さんから出産の経験を直接伺ったほうが圧倒的に参考になりました。

若い生徒さんが、「ツイッターのこの結び方、可愛くないですか?」とスマホを見せてくれて、一緒に研究したり。

また、生徒さんからは「今まで苦戦していたのはなんだったんでしょう・・・」と言ってもらえることが本当に多いです。

着物を通してリアルな繋がりができて、人生のひとときを一緒に過ごせたら、それは素敵なことだと思います。

着物の会社も巻き込んで、冷え込んでいる着物業界をひっくり返したい

着物の市場は縮小傾向である上に以下のような現状が一部残っております。

  • 着物は売れず、職人は後継者不足。
  • 一部の小売店では、押し売りやしつこい電話営業をして、利益確保に必死。
  • 電卓で値下げ、不明瞭な価格設定。
  • 品質の良し悪しに関係なく、中間マージンのためだけに高額で販売される着物の流通の仕組み。
  • 販売会のある着付け教室で、不要な高額な着物を買わされる。

 

ああ・・やだやだ・・・。

着物が大好きな私にとって、こういったブラックイメージは本当に耐えがたい。

正直に言います。私は、一消費者として、着物業界に疑問を持っています。

こんなことでは、着物に興味を持ち始めたばかりの人は、ドン引きするにきまってる。

今は着付けという小さな枠でノウハウを公開しているだけですが、今後、着物の会社も巻き込んで、着物業界自体を盛り上げていきたいと考えています。

使われなくなった着物を若い世代に使ってもらえる仕組みを作りたい

戦後45兆円の絹の着物が販売されて、そのうちの約9割がタンスの中に眠っていると推定されています。

  • 「着物はあるけど着られないから、タンスの肥やしになっている」
  • 「形見の着物の貰い手がない」
  • 「ウン十年ぶりにタンスを開けて着物を広げたら、シミだらけに」

といったお話を、本当によく耳にします。


一方、若い世代は着物に憧れを持っている人が多い。

着物レンタルの流行によって、着物が身近な存在になってきているようにも感じます。見る目も肥えてきている。

でも、呉服屋さんで誂えるのは、10代の若者には経済的に厳しすぎる。

全国に眠っている上質な着物たち。これは、膨大な資源です。

処分したい持ち主と、着てみたい若者世代。私がこの橋渡しをしたい。

大量消費の時代だからこそ、資源を有効活用して、物を大切にする喜びや世代を越えた人とのつながりを大切にしたい。

当時24歳の時のメモ

 

当教室で使っている着物の一部は寄付された着物を利用しています。

参考 着物を寄付していただきましたきつけ教室すなお

安価着物、リサイクル着物、レンタルなどを当たり前にしたい

「着物は高額すぎて買えない」

その常識は、崩れかけてきています。

アンティーク着物店で、新品同然の着物がワンコインで買える。

レンタルなら、一式そろえるよりもずっと安く、着物を楽しめる。

そういった情報を多くの方々に伝えていきたいと思います。

日本のキモノ文化を残したい

私の一番の願いです。

日本の伝統衣装、着物。日本ならではの知恵が詰まった衣服です。

着物は人生を豊かにしてくれると思っています。

  • 厳かで礼を尽くした気持ちも、着物ならこの上なく表現できる。
  • 着物を通して季節の移ろいを感じられる。
  • 礼儀作法を学べる。
  • お茶や、美術など、世界が広がる。

こんな素敵な文化を廃れさせたらいけない。

着物業界のいい面も悪い面も見てきましたが、それでも衰退させたくない、と強く思うんです。

そのためには、今のままじゃダメなんです。

着物業界の存続のためには、若い世代が気持ちよく着物を楽しめる環境を作らなければいけないんです。

そのためには、この4点をなんとかしなければいけない。

  1. 着付けスキルの一般化
  2. 着物コミュニティの活性化(リアルもネットも)
  3. 着物業界の革新
  4. 安価で流通する仕組みと周知

これらの実現のために、このブログは存在します。

 

着物に興味が無かった人も、

着物っていいなって思うだけの人も、

着物を始めたての人も、

着物のベテランさんも、

着物の仕立て屋さんも、

着物を販売している方も、

私と同じように着付け教室を開いている方も、

もうみーんな、全員!

私の考えに少しでも何かを感じたら力を貸してほしいです。

 

小さなことでも結構です。

  • ご家族・ご友人と着物について話してみる
  • 安い着物をメルカリでチェックしてみる
  • Yahoo知恵袋で着物の悩みに回答してあげる
  • この記事をリツイート、シェアする

何卒、宜しくお願いいたします。

 

私は「私にできること」「私にしかできないこと」を全力でやっていきます。

まずは、このブログで着付けのやりかたを多くの方に伝えることから。

 

ご意見・お問い合わせ

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着付けに関する質問でも何でもOKです!

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すなお

20000字近い拙い文章をここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

これからも、私「すなお」をよろしくお願いいたします。